Исумайэму_Парк

Публикуйте наши ежедневные записи и объявления.

生きることを悩んでいる今の子どもたちへ いじめられた18年を歩んだ私の話を聞いてほしい。

皆様こんにちわ、赤羽優花でちゅ~

そうそう、うちって意外と冷たいキャラだちになってるやないですか~

そしてふざけてるかイヤミしか言わないやつみたいな立場ですけど

今回はいたって真面目に、今の中高生含めて小学生大人

生きていることが辛い そう思う人たちへ手紙を書いてみようと思う。

 

うち昔いじめられてたんですよ、園児の頃からなんでだろうね。

さてすごく長くなるけど今回は真面目枠だ、お付き合いを頼むぞ。

 

 

初めての登園 それは3歳の頃だった

そして物心がつかない頃から自然とハブられていた

理由は簡単だった、そしてここからすべてが始まった。

私はハブられていたもそのはず親のことでハブられていて

ある程度言葉を話すようになった時からうちの同じクラスのやっちゃ言ってた。

 

「お前のとーちゃんきったねぇ」って「かーちゃんきったねぇ」って

なんでそう言われていたのかっていうと

うちの家は元々金持ち裕福の家やった

だけどふとしたことと経済の傾きで父方の家系が倒産と言えばわかるかなぁ

まぁ詳しくは聞いていないがとりま10億近い借金を抱えていた。

その打撃を受けたってことなんだよね、

あまりいうとうちがだれかわかるから言わんがうちの家はそういう家やった。

金持ちの家計から脱落したんや。

会社も県の中にたくさん持っていて、むしろ県の中では有名なとこの

元設立者も親戚にいる

だから金に困った暮らしはうちもしたことなかったんだよ

そのまた昔米不足が日本を襲って他国から輸入されて多くの人が食糧難になっていた

あの当時ですら何不自由なく米だ藁を積んでいるような家だったんだ。

 

でもうちが生まれる少し前に一気に状況が一変。

会社がダメになり 株も駄目になり 借金を抱えプラス

私の実の父親の名前で5000万近いだったかそれ以上だったかの

借金を押し付けられて一家は分離していたんだよね。

 

そんな影響もあって父親と兄と母親とは生活しておらず

糞みたいに惨めな生活をしていた

だから保育園にあずけられることになったんだ。

それまでは行く予定もなかったのだよ。

そして両親共働きになって

親と入れることも減った、兄は遊んで帰ってこない。

基本面倒より学校でもその影響でいじめられてた兄の八つ当たり対象

父親からも酒飲んでは殴られるわ、母親も気が狂って家の中で暴れまわるわ、

包丁持って警察呼ばれたこともあった。

 

そんな姿ばかり見て育った5才未満、ある意味それがトラウマになったんだろう

今の私を作っているのは、なぜなら「金がない」その一言を聞くだけで吐き気がする

あの日々は毎日聴いた

だから電気も止まったり ガスも止まったりそんな生活に急に落とされた

でも兄や親が一番つらかっただろうな。

物心ついているんだ当たり前のように私はほとんどついていない。

まだなれるに時間はかからなかった

食べたいものも食べれなくなって お菓子もジュースもなくなって

兄の機嫌は毎日最悪だ。

夜になると両親が顔合わせると喧嘩ばかりだった

だけどそんな中で母親は古物の仕事を始めた

私はそれに合わせて家の中に置いておくと

兄から受けてた暴力でよく怪我をしていたから

家に置いておく時間を減らすことにした父親からもあったし。

 

それで母親が古物の仕事で1日日光を浴びている仕事になったせいないのか

おかしくなった精神も落ち着きうちが6才になる頃には物心着いてから初めてにちかい

母親の笑顔を見た、

それはいつも我慢させているからって私にアイスを買ってくれたことがあった。

その時にうちは落として また怒られる殴られるそんな恐怖で身を震わせていると

「っぷ落としてんじゃん、今日はねもう一個だけならかえる」

そう言って買ってもらったことがあった

あの時は本当に怖くて怖くて仕方なかった、だけどその時理解したんだ

その日はいつもと違ってたくさん回収品があったから

お金の紙切れを何枚も見た。そこで言葉を学んでいくうち

そしてそれを見ていて気がついた

全てお金がないのが原因だった

その仕事柄もあり同じ保育園の親からも蔑まれていたしクラスメイトからも

ゴミ投げつけられてえらい目にあった。

次第にうちの心もなくなっていった。

子供らしくない、笑いもしない、笑いがわからない。そんな子供だった

保育園の時に絵の具をぶっかけられて髪の毛切ったり

引っかかれて血を出して家に帰ることもあった。

 

そしてそのままの生活で小学校に入学した。

そして親はそのストレスもあったのだろううちに対しての暴力も悪化した

暴言も入ってきた、「お前なんか産まなきゃよかった」そう母親にぶつけられて

当時はお母さんだけでも見方なのかと勘違いというか思っていた自分にとって

とてつもなくショックが隠せないランドセルを落として泣きそうになったが

涙の1つも出なかった。

 

そして園児の頃から同じクラスだったいじめっ子の親は小学校になっても

それを言いふらして私は入学4日で居場所がなくなった

担任からも相手にされない、誰からも

プリントは自分だけ貰えないそんな小さなことから始まり

まるでいないもののように扱われ

ゴミのように投げつけられて 虫を入れられるわランドセルを蹴り回されて

壊されて、開けてみれば中にゴミ箱の中身を入れられてて

「親みたいにゴミでも集めてればいいだろ」って指さされ笑われてた

これってうちの場合いじめられたのはよく本人のせいだというやからがいるが

うちのこれはうちの性だったのだろうか。

テストの点が悪いと父親に殴られ

一番当時痛かったのは アルミでできてる湯切りのボールってあるじゃない

穴あいてるあれで頭を何発も殴られて

鼻血を出しても家の中で蹴り回されて

「出来損ない」「失敗作だ」両親ともに私にそう言い続けていた

「お前なんてどうせ何もできないんだ」「産まなきゃよかった」

「てめぇの顔なんて見たくもねぇ」

「女なんだから大人になってもどうせ何の役にもたたない」

そういわれ続けた。

まぁたくさんたくさんかけていないけどそんな生活だったんだ。

中学にいっても高校に行っても変わらないまったく

途中から4年生になってすぐインターネットの活動を始めた。

それはUTAUだった。 そして自分の創作物を作って気を紛らわしていたんだ。

元々絵を書くのは好きだった

だから絵を書いて 小説を書いて 漫画を書いて 動画を作って

自分で始めた、音楽は全くわからないけど音楽を始めてみたり

UTAUで曲を作ってみようと思った。

そしてそんなことしながらいつの間にか私の意識がないなかで

生活は安定していた。

気が付けば電気やガスが止まるような生活はなくなっていたんだ

でも親のそういうのは消えることはなくて

うちの家では連帯責任というのがすごく根強く兄が本当に悪ガキで

兄のせいで私まで殴り回されてほぼ毎日どこか怪我していた。

飯をもらえないこともあったし 特に覚えているのは

冬に素っ裸のまま 水をはった湯船に沈められて蓋を占められ

その上からおもしを乗せられて閉じ込められたあげく

風呂場の鍵をそとから占められて何時間も放置された

自らは出ることはできたけど 真冬うちの生まれ育ったところは

ー10はふつうに行くようなとこでその日は15はあったー15な

湯船が軽く氷をはってきてるなか うちは水に濡れて閉じ込められたまま

震えた身体をさすりながら風呂場の中で朝を迎えた。

そしてその冷え切った体のまま父親に散々殴り回された。

いたいことはだからなれている

学校でもいじめられてた、居場所なんてなくて文房具も壊されるわ机なくされるわ

全て私のせいにされていたわ

誰も信じてくれない誰も見方はいない誰も 本当の意味で孤独だった。

そして自分にいつしか問いかけていた

 

「死にたい」そんな言葉を口ずさんでいたんだ。

いつかやり返したいなんて思ったこともあった

でもやり返せないんだよなそんな未来が見えるわけがなかった

そしてそんな生活のせいだったのか父親の暴力もあったし

母親からの暴力もあった

電車もなければバスもないそして小遣いは兄しかもらえない

私の存在は家の中でも邪魔でしかなかった。

うちの飯だけないなんてざらだったしな

毎日がぴりぴりしていた そして学校にいっているとき

性的暴力を受けたが誰も信じてくれなくて

未だうちの心の中には傷だけ残っているそのままだ

次第に腕を切るようになって 首を自分で占めてみる

そして学校に行きたくないと言えば

父親に吐き出すまで殴り蹴られ 学校の前に捨てられてた。

行くしかなかった、でも家にいたって飯貰えないから

行ったほうがマシだ ご飯あるもん

そういう気持ちで学校に行っていた。

 

そしてネットでうちの個人情報をばら撒いた奴がいた

それでうちにはたくさんのレッテルが貼られた。

もう社会的にも学校にも家にもそしてどこにも居場所なんてなかった

唯一信じていたとある個人的つながりのあった先生からも性的なことはされた

そんな目でしか見られない 外を歩くのも嫌になった

そして中学の時髪の毛にペンキを塗られて取れなくなった

だから髪の毛を生まれて初めてに等しい

あの日以来切ったことなかった髪にハサミを入れた。

 

うんと短くなったうちの髪の毛、心なんてある分けなかった。

そしてそれは中学の頃だったんだ全部。

中2までに起きていたこと

先輩たちからも目の敵にされて

性的にも暴力を浴びるは肉体的にも精神的にも

一般的なら ネットに逃げ道があるはずだがそれもうちにはない

つか24時間に等しいほど誰かに監視されているからな。

そして口一つ開けば 笑った顔を浮かべれば親に殴り倒されることはわかってた。

笑えない ないちゃダメだ おこってもダメだ 感情を殺せ。

それだを考えていた、そしてうちは小学生の時から時々

精神科に連れて行かれてた学校から行かせろを言われて証明書を作るためだけに

そしてある日中学2年生の時病院を変えて違うところへ行ったとき

薬の副作用で母乳が出たんだよね。

そしたら妊娠しただ言われて「きたねぇ」だとか「やりまん」だとか言われて

中学校にもさらに居場所はなくなって

そしてこんな時みんなは保健室に行くだろいやいってもな

「まぁそう言われることしたあなたが悪い」

それだけ「ここは休むとこじゃないから」

そう言われることだけだったからそのうち小学校の時からそうだったが

学校には通っていたがクラスにもどこにもいなかった

 

毎日打ち震えていた。

高校にそのまま上がった そしてやっぱり変わらず

 

そのままの生活から私は2020年5月に解放された。

普通の生活なんて知らない。

これでもうち重要点しか言っていない

もっとあるのはあるんだ、だけど書ききれないんだ。

一番わかりやすく言うなら ドラマで ライフ ってのがある

あれよりひどかったことははっきり言える

あれがうちにとっては可愛く見えるよ。

 

だからうちはね子供の頃ずっと4年前まで

「死にたいな」「生きてる価値がない」「自分なんて無能だ」そう言い続けてきた

そしてその中でも唯一話を聞いてくれてそばにいてくれた

元新聞部のメンツと部長にたくさん否定された

 

「そんなことない」「だったらこんなことしないよ」

「大丈夫だよ」「死にたいなんて思わないでそばにいるから」

 

それを受け取れなかったんだ、聞いてはいるんだよその言葉を

聞いてはいるけど受け取れる精神状態はなかった。

毎日がモノクロで何が楽しかったのか

今ですら笑うことができない。

 

でもだからこそそんな過去の自分にうちが会えるなら言いたいよ。

 

 

泣きべそかいて 毎日履き散らかして

やり返せばいい、やりかえせないなら、作を作れ

そして、そんな毎日だって捨てるなんてまだ早いんだ。

レッテルという張り紙があるじゃん

そんなものはがしてしまえ。

わがままだよな 死にたい言うくせに死なないなんて

わがままだよお前は。

 

廃材みたいな日々だな本当に

高校の時なんて終電でかえるようなこともしたな

そしてゲーセンとか近くの本屋にこもってたな

そして世の中に言いたかったよな、てかお前は言ってたな

 

どんなに便利な時代が来たからなんだって

スマフォができたからなんだよ

そんなことする暇あるならうちの心の支えになってくれたりしてもいいだろ

あぁクズだ、ゴミだ。価値がないんだ 存在価値も

うちはこの世の中に存在しない必要のない人間だ。

どんな否定されてもそう言い続けていた10年以上

 

「死にたい」そういえばいつも言われた

「またそれか」そう言われるそれでも言い続けた

そして言えることはそれでうちはどんどん孤独になっていった

そしてそれで手を話してしまうやつはたくさんいる

手を離すな、そのてを

「またそれか」その言葉を吐くやつをお前から離すな。

そういってくるほどお前の話を聞いてくれるんだ。

 

言葉という銃口を向けられてたくさん打ち込まれて

ゴミ投げつけられガラクタまみれの

でもな一切合切どうなったって約束してやる。

お前は生きている意味がないやつじゃないっていつかわかる。

 

だから未来にいるうちは過去のうちに会えるなら

待っててやるよ、そしてうちはそんな人生だったからこそ

始めた創作がこれだ

レッドアイ小説だ

 

本当は肯定していたかったよな、自分のこと

本当ならきっとみんなも同じような気持ちをあゆみみんなだって

「自分なら大丈夫」そう言いたいだろ

でもどんなに頭を使って考えても何を思ってもそれしか言葉が出てこないんだよな。

そうやってマイナス思考になってそしてそのうちそのマイナス思考になる

自分に嫌気がさして自分が嫌いになるんだよな。

そしてそのあと死にたくなるんだよな。

わがままだなぁ 愛されたいと思うのに そうやってつけはなして

どっちなんだお前は、お前たちは

助けて欲しいんじゃないの?うちが子供の頃と違って

今は助けてくれるところはあるよ

それがここなんだよ。

 

なぁきっと過去のうちが今のうちを見たらこう言うだろ

 

「どうだよ、こんな現状はお前となんか違うわかるわけない」

そう言うだろうなそれに対してうちはこう返すだろう

「そうか、どうしよもないやつだな」

 

辛いなら泣け、まだ逃げ道があるだけいいじゃねぇかとかそんなことは言わない。

お前の価値を勝手に決めつけて叩く奴いるだろ?

そんな値札なんて剥がしちまえよ

お前の価値はお前にしかわかんねぇ

 

そしていつかそんなお前を未来のお前が迎えに来てくれるよ

なぁそんなものって今なら言えるよ

「死んじまえよ」

「お前になんて価値ないよ」

「なんか変だね」

「変わってるね」

 

そんな言葉で命をたってしまうなら うちに言いに来い。

 

「頭を上げてろ」「そら見てろ」うるせぇって言ってやれ

ただただ言う奴にはうるせぇといえ。

話を聞いてくれてそんでもって「頭を上げていな」「正直あなた次第だ」

そんな風に叱ってくれる人を大切にしろ。

そういう人たちはお前のことよく見てる案外小さい変化も見てる

 

本当はそうやって言われて否定して

死にたいだなんだ大騒ぎして

人によっちゃ学校行きたくなくて学校行かないこと

職場に行かないこと

やましい気持ちでいるんだろ。

 

あぁなんてクズなんだ 学校もま元にいけないんだ

高校におちたやつや 大学におちたやつ

あぁなんて無能なんだ そう思うだろ

 

いいよそれで、お前はお前だよ全員が幸せにバラ色になれると思うな

人生の主人公はお前なんだ

うちはなレッドアイ小説の大元をベースに作品にし始めた4年生の頃思ったよ

 

人生は小説みたいだなぁって

そしてそのうち親には文句言われるんだろうなみんなは

 

「学校に行きなさい」「なんでできないの」

その言葉で余計苦しいんだよな。わかってるよ。

わかっててうちは言うんだ、 「黙れ」

 

なぜって? ただただ死にたい死にたい言ってちゃなんも変わんねぇからだ。

死にたい 思うのはどうぞご勝手に どうぞほんまにどうぞご自由に

だけどな、黙れというのは 言うなら言うだけ動け。

必ず変わる そしてお前を肯定してくれる人を大切にしろ

誰とは言わんが こないだまでカイフレにいたそこの高校生

見てるか、見てないかもしれんが

お前のそばにたくさんの人がいるだからわかれとは言わない

安心しろ辛くなったらいつでも声をかけて来い

 

お前だって思ってんやろ 明日が来なければいいのにって

そしてどうせどうせって何においてもどうせどうせ

 

きっとお前にもくるよ未来のお前が今のお前に言葉をくれる。

だけど、それをお前はきっと「うるさいなお前なんて大っきらいだなんも分かんないくせに」なんて返すだろうな

それか

「ごめんなさい」って言って何も言わないんだろうな。

いいよそれで今はいい、無理すんな

うちだって10年以上かかった

考えてみ3歳の頃からずっとそう思ってて22になった今でも思うんだ

でも21が終わる頃にはあまり言わなくなった。

そんなものだ、お前だけじゃねぇ。

だから手を離すんじゃねぇよこっちで掴んでんだから。

イヤミを言ってくるやつなんてほっとけ。

24:59分59秒まで今日のお前で

1秒後には明日のお前がやってくる。

 

怖いよな、怖い、本当に怖い明日どうなるなんてわかりゃせんことばかりだ

学生のうちなんか親が何かしてくれない限り何もできない

何が子供のための社会だ 全く機能していないこの世の中。

 

そしてお前も多分そうだろうけどうちがそうだったから先に言っておくが

身近でそうやって君を否定してくれて話を聞いてくれる人といて

たとえ2人でいてもお前一人という1人でいても

孤独は孤独にかわりゃせんから。

 

だったら  優しい人になろうとか そんなこと考えなくていい

うちはこう考えた。

うちはうちでだったら誰とも関わりを持たない

そしてそのそばにいてくれたここイスパもメンツとしか一緒にいない。

だから誰とも通話もしなければ誰とも話さない会うこともない。

そしてうちは願ってるよ いつかお前も自分を肯定できる日が来るといいな。

 

そしていつかお前の心が元気になったら 笑われた分だけ笑い返してやれ

馬鹿にして 否定してきた人が羨ましいって思うだけ笑える人生になるといいな

それが最大の仕返しよ。

売れることでも 愛されることより それが最大の仕返し

理由は そいつの常識を変えてやったからだ

お前をそいつの中での常識でゴミだクズだ言ってたんだ

それを否定しているから今も生きてるんだろ

だから笑い返してやれ。

 

イスマイエムパークにはな案外いじめられてたやつや

社会的に居場所がなかった奴が多い。

むしろいじめに回ってしまったのもいる

だけどだからこそこうやって支えあって笑い合えるんだろうな

毎日くだらないこといって 作業して

そしていつか、自分たちが子供の頃そういう思いをしたのに

誰も助けてくれなかったから助けてあげたい

そういう子達を助けてあげたい

それはうちの心の中にずっとあるものだ。

 

もう体のアザは消えたけど

心のアザは消えないんだ。

 

ただ最後に大切なことだから言うわ

優しい人になろうとするな

 

そしてその理由で最後はしめるわ

 

 

優しい人になろうとしなくても 勝手になってるよ。

本当にそれだけ辛かったんだから。勝手になってる。

だからなろうとするな 今は今と向き合いな

 

世の中のみんなに幸あれ☆