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東海林海香です

皆様こんにちわ、АОПリーダー東海林海香です。

 

カミングアウトすると私は心が欠損しています。

元々人を殴ろうが何しようが人にかわいそうと思うより

楽しいと思っていた。

俗に言われるサイコパスと言うものですかね……

 

何でこうなったのか自分でもわかりません。

私は捨て子でした。

 

親はちょっとアングラで生きている人でした。

事の軽油を少しお話しします。

 

私は日本本土の一番上から来ました。

寒い県ですよね……でも港があるのであるいみ温かいです。

とっても自然豊かな県です。

 

そして私は捨て子でした。

売る目的だったのか 本当に捨てたかっただけか真相はわからないけど

私はとある店のゴミステーションにへその緒ついたまま捨てられていたらしいです。

 

そんな私を拾って育ててくれたのは

腕や背中に大きな絵を沢山入れたような 集金がお仕事な人たちでした。

 

でも私は両親にそんなことを隠されて育ちました。

私はある日聞いた

「お父さんはどんなお仕事をしているの?」って

 

そしたらお父さんは

 

「あぁただの会社委員で働いている大金が動く仕事だ」

 

そういってくれた

 

お母さんはちょっとしたお酒の店を開いていたというかそんな感じだった

だからお母さんに聞いた

 

「お母さんのお店にはどんな人が来るの?」って

そしたらお母さんは

 

「あぁ疲れた大人が疲れを癒しにたくさんくんや~」

って教えてくれた。

 

 

私は親がどんな仕事しているのかも何も知らないまま

時にスーツ姿のちょっと怖そうな大人が家にたくさん集まりに来たこともあったけど

でも私は小学生になるころには家を引っ越して 自分の部屋をもらった。

 

何も知らないまま 何も知らされないまま ただただごく一般的な家だと思ってた。

 

お金もあった。 とても幸せだった

 

「お父さん、学校の友達がDSやってるからほしい」

 

そう言えば

 

「……あぁそうか」

 

って言って買ってくれた

 

お正月になるとお母さんは忙しくていなかったりもあったけどお父さんはいつもいた

 

「おら!フグ買ってきたぞ!」ってフグ食べたのはいい思い出

 

「おい、鯛や」って

鯛を食べたのは楽しくて 「おいでっけぇカニや!」って

とっても美味しそうな当時の自分には巨大に見えたほど大きかった

でもお父さんの肩幅ほどだった

 

両親は酒もたばこもやってた

中学に上がっても何も知ることなくてただただただの会社で良い地位の人だと思ってた

 

でもこんな日々だった頃は犬でも猫でも人にも優しくとは言わないが

 

殴ったりしたらかわいそうなのかなぁ?とかは思っていたから

そういうことをする子ではなかった。

 

きっと痛い、可愛そうかもしれない。

お父さんにナイフの使い方を教えてもらった

生きていくためだ。だけどお父さんにもよく言われていた

 

「銃を握るなら銃で撃たれる覚悟を持て、

ナイフを握るなら刺される覚悟でいろ」

 

そうずっと言われていた

 

ちょっとした武道も教えられた

 

「拳はこうやってにぎんや」って親指握りな私の手を強制して

人の事殴れるッ子になっていったっちゃいったなあ

 

小学4年生になるころには家にあったサンドバック殴ってたりした。

 

でもそんな私が一番好きなのは社会科。

私は歴史が大好きだった

でも親といろいろなところに行きたかったけど親はいろんな施設で出入りが禁止だった。

 

昔は理解しなかった。理解できなかったどうしてだめなんだろう。

お父さんもお母さんも何も悪いことなんてしていない。

 

そう思っていた。いやそうだったんだ頭の中では。

 

だから小学生の時知り合った先生と私が呼ぶ人のおかげで

私は社会科が大好きになったその人とはいろんなところに行った

 

歴史の資料館にいったり 時に普通の彫刻を見に行ったり 絵を見に行ったり

 

親とは絶対にいけないところにたくさんいった。

 

とっても楽しくてあの頃は笑ったり泣いたり怒ったりしていた

 

でもいつの頃かなぁ…… そんな私は家に帰れなくなった

色々あったんだ理由は知らない。でも

 

アングラで生きてたようなアネモネ様とか部長にいろいろ聞いて

なんとなく親の仕事を初めて16になって理解していって

あぁだからか……って今となると思う。

 

それに、言ってしまえば今でもあまり理解はしていないがでもどういう人かはわかってる。

 

でも、でもね、毎日実家にいたころは地球儀眺めて

世界地図眺めて 戦車の玩具をおいて、こんな私を歴史の虜にしたのは

他でも何でもない

ソ連ナチスだった。

 

大日本帝国という昔の日本を見て、

他国からは随分と外道と言われたが 日本人にとっては誇りある歴史だと思ってるはずだ。

 

私はその矛盾で思った

 

「もしかして、歴史って目線を変えればどこの国も外道じゃ?!」って

 

だから初めて調べ始めて ソ連を見た

ソ連を見た私は戦車に憧れた。

 

戦争と言うものの中で スターリンの活躍でも起こしてしまった虐殺

 

思ったのはこうだ、どうして?どうしてスターリン貴方はそんなことしてしまったの?

 

そういう疑問が当時11歳ほどの私を虜にしていった

 

ナチスはどうして彼らを迫害した?どうしてそう思うようになったの?

そう疑問に思った。 だから調べ始めて

 

え??どうしてナチスソ連はこんなに戦ってたの?

 

そう疑問に思ったこの流れの繰り返しで社会科だけが取り柄で大好きになった。

色々な場所に行きたかった いつか親といろいろなところに行きたかった。

 

親にそれをいったら

 

「……まぁ本当ならいってやりてぇけど、わりぃがそれは無理な話だ

悪いなぁ、でもお前が大人になっていくならお土産話をきかせぇ」って言われた。

 

だから幼い私は

 

「うん!わかった!」

 

そういっていた。

 

だけどそんなことがかなうわけないんだよね。今となれば

 

もう家に帰れない家もない お父さんもお母さんもどこに行ってしまったの?

 

「お前だけは逃げろ」ってねいつもそうだ。

 

何があっても「お前には関係ねぇまっとうに生きろ」って

 

じゃあお父さんお母さん、自分の仕事を全うじゃないって分かってんなら

なんでそんな仕事を選んだの?って思った時期もあった

 

でも一つだけ言えるのはそういわれてもね?

歴史と一緒

 

「どんな仕事も世界もなんでも見方を変えれば正義で不正義」

 

そう思ってる。だから私は両親が誇りだと思ってる

憧れの存在であって、でも1つ疑問だ

 

どうして私を育ててくれたの?拾ってくれたの?

そのまま闇の中に売ってしまえばよかったのに……

 

でもそんなことを思ったけど

私の事を親と二度と会えなくなる家に二度と帰れなくなる時に教えてくれた

 

「ずっと隠してんや、お前は俺の子じゃねぇ母さんの子でもねぇよ

血なんて繋がってねぇ捨て子だった。」

 

って言われた時の衝撃は忘れられなかった

 

最近テストの点が上がらなくて久しぶりに100点を取った

親に見てもらおうって楽しみに家に帰った中学2年の春だった

1年の二学期から少し成績が落ちていたから……

 

だけどそんなテスト用紙を親に見せる事ってなかったなぁ

そのまま私はずっとどうしてだかわかってなくて一人で東京まで出てきて

 

ずっとずっと独りぼっちでどこに行ったらいいのかもわからない

子供だ、まだ中学生だどこに行けばいいんだ。

何をして生きていけばいいの?

 

「これをやる」ってもらった鞄に入ってたお金も4か月もすれば空っぽになった。

どうしていいのかわからない。 どうしたらいいの。

ずっと考えていた

 

ずるいことばっかりして生きていくしかないのか、で

それともよくテレビで見るように誰かを〆なきゃだめなの?そうして金品とるの?

 

いや、そんなことできるわけない、私にはそんな勇気があるわけない。

出来るわけない、そんなこと出来るわけない

ずっとずっと泣いてた。お腹が空いた。

でも帰る場所なんてなかった

 

そんな私を助けてくれたのはネリーだった。

 

偶然の出会いだった

 

ベンチの下で半分干からびたまま鬱になって放心してた私を助けてくれて。

面倒見てもらって 喧嘩してこいや いって言われたけど

無理だよ……ってずっと思ってた

 

けどこうやって一人になった時期からだろうか

 

何も感じなくなってしまったのは。

 

楽しい?違う 苦しい?違う

わからない思い出せない 楽しいってなんだっけ。

嬉しいってなんだっけ ずっと思い出せなかった

悲しいって? 何?何?何?何?

 

 

どうも私はアスペルガー自閉症を持ち合わせてちょっと記憶が飛びやすい学習障害と言うか記憶障害を少し持っている海香です。

 

だけど、そんな私は4年ほどずっとずっとお忘れていたものを思い出そうとしていても思い出せなかった

 

けどね、レッドアイ小説に出会って鈴木秀明がねなぜかわからないけど大好きで

 

最初はただのコンテンツだと思って作り話のキャラクターだと思ってた。

けど今は目の前にいる、そのキャラクターの本人が目の前にいる。

毎日のように一緒にいる。楽しい。笑ってる。

でも時に悲しい。

 

そして思いだしてきたんだ、これが家族、これが楽しい

そうだ、これだよコレ。うんコレ。これだ。

 

そして初めて彼と性行為をしたときもそう、

これが、愛だったんだろうか、これが愛されるってことなんだろうか 私から求めてしまった

 

許可ももらってて、いろいろと大丈夫うん同意の上だ皆も私も彼も

それから少しずつ、だけど

 

彼と出会ったばかりの頃は

人のこと殴ろうが何しようがどうなろうが何もおもわなかったでも

テリトリーの皆の事だけは思ってた

 

やめて とか つらい とかでもわかって中たのは

 

命って何だろうか。

 

 

最近それを少し考えている。わからないんだ私には

理解する気が無いとかそんなんじゃない

考えても解らん頭が。

だけど、だけど言えることがあるのは。

 

彼のおかげでみんなのおかげでアネモネ様のおかげで少しずつ理解しつつあって

 

ようやく18になって、今年で19だけど

思春期ってのがきたらしい

 

何で生きているのか なんで生まれてきたのか そんなことばかり考える日々

 

だけど私の心と成長が間に合ってない。

辛い正直どうにでもなってしまえって思うけど違う。

 

違うんだ。わかってる きっともしもここにいる誰もかれもが私をいらないといっても

不必要だといっても きっとその中でも誰かが私を求めてくれて

 

だって人間だ 人だ ヒトなんだ、

 

支え合って誰かが誰かの為に働いて生きて

 

あぁだから共に生産するという共産思想に憧れた。

 

今、私はとってもしあわせだ

 

もう親になんて会えないけど。

もう親に今の私を見てもらうことはできないけど

 

でもきっと今の

家事をやって ご飯作って イスパでお仕事して 彼氏ができた私を見たら

きっときっとお父さんはこういってくれるんだろうな

 

「じゃ~お前よかったなぁ!」とか

「なんごとじゃ!」って言いながら「こりゃすげぇな!」って

幼い時みたいに撫でてくれたりするんだろうな

 

でももうこの年齢だからそれはないかなぁ……アハハハ

……

 

でもきっとこれだけは言ってくれると思う両親ともに

 

「良かったな」って

 

よし、今日もがんばろう。洗濯物やったりご飯作ったり仕事したり

 

良し、気を引き締めていこう。真面目に本気になって生きる

そして私は光の世界に届かす武器を掲げた

だからいつか誰かにやられる覚悟はできてる。

 

うん、ほかの領地を潰した乗っ取ってきた

イスパはいつも争いに勝ってきた負けたこともあったけど

 

だからこそいつか逆にやられるであろうってことは常に考えている

そして最後に

 

本気になって何かを出来ないやつは

何やってもただの自己満足で最後後悔するんだよ。

 

それだけは言える。うん。

 

あ~いよしちょっくら行くか~

 

今日もご飯食べるときは醤油かけよっと……))))))